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12年目によせて<地震の記憶> [社会派]

明日は震災12年目ですね。
ワタシは西宮の自宅で被災しました。何が起こったか分からず、ただただ驚いたというのが当時の心境。とりあえず家を出て一家揃って車に避難、明るくなって自宅に戻ると出る時には父が開けたはずの鉄の玄関ドアは、締めようとしても歪んでいて閉まらず。よく開けれたものだと父が今でも言います。電気が10時ごろには復旧して、テレビをつけてまたビックリ。
ウチの近所も倒壊などがあり下敷きになって大怪我や亡くなられた方もいましたが、まだ少なかった方で、何より火災はなかったし、本当にひどい所はここではないんだと痛感しました。
色んな人が明日、命拾いしたこと、すんでのところで消えてしまった命があること、助けられなかった悲しさ、色々思い出すのでしょう。
また、12年今だ震災と向かい合って生きてる方の(障害をもってしまったり、はからずも馴染みの土地を離れたり)心痛を思います。去年の暮れ、被災マンションの再建か補修かで住民同士が争っていた物件が、再建される事に決定しました。これで被災マンションがようやくゼロになるんだそうです。

うちも16日に祖父の法要で、父母だけが岡山に帰省。夕方になり「泊まって帰ろうかな?」という父母をいつになく「早く帰り!」と祖母が強く勧めたそうで、いつもは「泊まって帰り!」の祖母がどうしたのだろう?と父母が帰宅後首を傾げていました。何か胸騒ぎでもあったのでしょうか?
でもそれが無ければ兄弟だけで地震にあい、それこそどうしていいか分からず困り果てた事でしょう。ワタシの高校は丁度修学旅行中で、帰ってきたら家がつぶれていた子や教師もいました。
避難所の中継で、学校の先生が映ってた。そんな風でしたから、私の高校の体育館も避難所になっていたし学校も再開されず、高校3年生だったワタシは安否確認で1度登校した後、2度目が卒業式でした。受験生でしたが、なんだかその年はみんな第2志望でも受かったところに行く子が多く、浪人を選んだ子は少なかったそうです。どこか、いつ何があるか分からん!という気持ちになったのでしょうか?
震災の記憶はとめどなく、もらったお結びが冷たくて、カセットコンロで雑炊にして食べたこと。3月まで水道が復旧せず卒業式の3日前にようやく自宅でお風呂に入れた事(本当に嬉しかった)
震災後はトラックの振動でさえ、地震だと思ってしまうこと(これは今でもそうです)。
でも非常用の持ち出しリュックは作ってるものの、あまり真剣に防災対策していない現実。忘れないように、非常に備えるようにしなくてはいけないなと、気持ちを改めて生きていきたいです。


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yuki

私もよくあのころを思い出すわ。
早いね、もう12年目なんだね。
お弁当作らなくちゃと思いつつ
お布団の中でボーっとしてたらあの震災。
すごすぎて心臓がバクバクしたのを思い出すわ。
余震のたびにドキドキしたけど
鮮明に祖父母を守るのは自分だと思ってたのを思い出す。
それまで小さいころからその意識はあったんだけど
震災があってから更に鮮明にそう思うようになった。
もう自分は守られる立場じゃなく
守る立場なんだなと思ったよ。
今じゃ悠人も居るしね、尚更守る立場だね。

震災に限らず不意の事故などで
大事な人を亡くすというのはほんとにコワイよね。
地震なんて無くなればいいのにと思うけど
そんな訳ないし、ほんとに日頃から
ちゃんと準備しとくのは大事なんだね。
(でもうち防災バックない・・・)
用意しなくちゃと思うものの
金銭的なこと家の広さから来る置き場所のこと考えて
未だに用意してないの。
後悔しないようにちゃんとしなくちゃね。

長くなっちゃってごめんね~!
by yuki (2007-01-16 10:21) 

horigon

こんにちは。
もう12年も経つのですね。月日の経つのは本当に早いものです。
たしか、震災の日は事務所で一日仕事もせず、テレビを観ていました。
神戸は何度も行った街で、僕の上司の娘さんの嫁ぎ先、しかも
会社の支店もあり、とても仕事なんてする気にはなれませんでした。

7~8年前、図らずも神戸支店に立ち寄る用事があり、辺りを散策
してみましたが、地震の爪あとはほとんど見ることが出来ませんでした。
しかし、今でも十分生々しい、ちあこさんの経験を聞いて、この地震を
時代と共に風化させてはいけないと、改めて思いました。
by horigon (2007-01-16 14:33) 

うさぎりんご

うっかりしてました・・・もうそんなになるんですね。
あのときすでに目覚めてましたが、私は地震の前になると目が覚めることがよくあるので、なんかいやだなあと思ってました。そしたら・・・。地鳴りってはじめてききました。
関東に引っ越すまえに、三宮周辺に行くことがあったけど、駅の周辺はすっかり変わってました。
 
防災グッズは、水と日持ちする食料(カロリーメイトみたいなやつとか)だけでもおいといたほうがいいですよね。これだけなら費用高くないし、私は古くなったバッグにいれてます。とにかく子供の食いモンは確保しませんと!寒い時用にブランケットも・・・体温下げちゃいけませんもんね。

あとはライターや軍手は100円ショップにあるもので。既成の防災バッグはコンパクトでいいけど確かに高いと思います。私がお金かけたのは、手回し発電でライトがついてラジオが聞けるやつくらいです(笑)。それも特価で。
by うさぎりんご (2007-01-16 22:49) 

aya

防災バック、全く用意していない・・・。
家と車に一つずつ置いておくのがいいんだろうけど、どちらも空間に余裕がないから困るわ。
どっちかといえば、車に置いておくほうが効果的よね。
旦那に相談してみようっと。
by aya (2007-01-17 09:37) 

yuki

そっか!!!車に置くなんて
思いつかなかった!!
あやちゃんナイス!!
(横レス失礼・・・)
by yuki (2007-01-17 10:47) 

ちあこ

ゆきちゃん>そっかゆきちゃんも高校生か。ワタシさ、地震当日はセンター試験の答え合せを学校でする日だったんだ~。そんなのも当然無くなった。守る立場だと強く思ったのは、ゆきちゃんの強さだね。
防災パックは買ったものではなく、普通のリュックにそのシーズンのい最低の着替え(衣替えじに交換)、オムツと、靴下、サランラップ、ビニール袋、カロリーメイト、現金を入れて室内に。置き場所困るんだ(^^; 車は現金なしのパック作って置いとこうかな。

horigonさん>本当に爪あとがなくなるのはいつの日でしょう?あちこちであれ以来大地震があり、救助方法や仮設の設営などに教訓が活かされてると知り少し嬉しく思います。
いつも有難うございます。

うさぎりんこさん>なるほど、ブランケットにライター!参考になりました。
子どものものウチはまだオムツなんかもいるんで、気を抜けません。無いに越したことありませんけどね。

あやちゃん>車!!ナイス!!現金抜きのパックを作って車に乗せとこう!!ありがとう
by ちあこ (2007-01-17 22:12) 

ワラ

うちの実家も半壊だったよ。
亡き母が地震の直後にまず「ドア開けてきて」と父に言ったのが印象的でした。ウチのマンションの住人で電気が復旧した頃でもまだドアが開かず、窓から出入りしている人たちもいたくらい。
当時は自信の知識とかも少なかったのになぜ母がそんなことを知っていたのか、母に聞いたら「昼の番組でこの前やってた」そうです。
この時ワラは有閑おばさんのお供、みのさん(の番組だと思う)もスゴイもんだと感心しました。
ウチにも防災バッグありません。食料のメンテ(期限のチェックを忘れそう)でも2階で寝ているので、入居したときから縄ばしごを買わなと思い続けています。
そういえば銀行には乾パンと水のストックが常にあって、年に一度在庫処分で乾パンが配られていました。(パートで行ってたので)知らないことはまだまだ多いものです。
by ワラ (2007-01-18 10:31) 

ちあこ

ワラさん>うちのマンションも、ドアが開かなくなった家があったわ。父が何をおもってドアを開けに走ったのか...みのさんの知恵ではないだろう(笑)その後、1人離れて寝てた私の救出でした(本棚が倒れて出れなかった)今おもえば、勉強机と本棚の隙間に丸まってた私。よく無傷でいたものだ。縄梯子って、なるほど~!!一戸建てならではだね。そういや6階だと水を運ぶの大変そうだな~(><)
銀行にも乾パンってちょっと不思議、地震の時には配ってくれるかな?
競馬場は生米を配ってくれて、水もないしジャー壊れてるのにどうしろって言うの?!と思ったわ。
by ちあこ (2007-01-18 13:30) 

もう12年!まだ12年・・・!
関西にあんなに大きな地震が来るなんて想像したことありませんでした。
震源地から遠い和歌山でもかなりの揺れでしたから、被災地の方の恐怖はどれほどだったか考えるだけで恐ろしいです。
 震災以来、うちでは箪笥の上に物を置かない、背の高い家具は置かない、ミネラルウォーターは常備するって習慣ができました。
和歌山も南海沖地震が何時来てもおかしくないと言われてますから・・・。
by (2007-01-18 23:48) 

ちあこ

まりももさん>確かに南海沖地震とか、未だにあちこちに危険の可能性があって日本中危険だらけ。まりももさんとこ見習ってウチも危機に対する備えを考え直さないといけないわ。
by ちあこ (2007-01-21 07:56) 

michan

もう12年ですね。
あっという間だったような・・・
あの大惨事は、本当に辛いことでしたね。
あのようなことが二度とないことを祈ります。
by michan (2007-01-27 14:28) 

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